1887(明治20)
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7月23日、呉服商・山本元吉の長男として、下都賀郡栃木町(現栃木市)に生まれる。
本名は勇造。
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1894(明治27)
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栃木尋常小学校に入学。
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1898(明治31)
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尋常小学校卒業。栃木高等小学校に入学。
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1902(明治35)
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高等小学校卒業。東京浅草駒形町の呉服店・伊勢福に奉公に出される。
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1903(明治36)
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奉公先を逃げ出して郷里の家に帰り、家業を手伝う。
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1905(明治38)
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上京して神田正則英語学校に入学。
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1906(明治39)
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東京中学校の補欠試験を受け、同校5年級に編入される。
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1907(明治40)
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東京中学校卒業。第六高等学校に合格するが、父が死去したために入学を断念。
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1909(明治42)
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再度、高校の入試を受験し、一高文科に入学。同クラスに近衛文麿、土屋文明らがいた。
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1912(明治45・大正元)
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一高二年修了。東京帝国大学独文科選科に入学。
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1914(大正3)
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豊島与志雄、菊池寛、芥川龍之介、久米正雄らと第三次「新思潮」を興す。
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1915(大正4)
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東大独文科を卒業。
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1917(大正6)
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舞台協会の舞台監督となる。結婚したがまもなく離婚。
早稲田大学の独語講師となる。
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1919(大正8)
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英文学者・本田増次郎の長女、本田はなと結婚。
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1923(大正12)
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早大講師を辞任。
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1924(大正13)
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「演劇新潮」を創刊。
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1926(大正15・昭和元)
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菊池寛、芥川龍之介らと文芸家協会を作る。
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1932(昭和7)
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明治大学に文芸科が創設され、初代科長となる。
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1935(昭和10)
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「真実一路」を主婦之友に掲載。
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1937(昭和12)
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「路傍の石」を朝日新聞に連載。
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1941(昭和16)
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帝国芸術院会員に推挙される
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1946(昭和21)
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貴族院議員に勅選される
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1947(昭和22)
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参議院議員全国区に第9位で当選
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1958(昭和33)
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三鷹市名誉市民に推挙される
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1960(昭和35)
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栃木市名誉市民に推挙される
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1965(昭和40)
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第25回文化勲章を授与される
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1967(昭和42)
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文芸家協会名誉会員に推薦される
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1972(昭和47)
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日本近代文学館顧問に推挙される
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1974(昭和49)
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1月11日、86歳の生涯を閉じる
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